ここは、ご存知の方は多いと思います。
市内の小学校の教本表紙にも描かれていたりした、有名な建物です。

『北炭北海道支店石炭分析所(室) 試料調整室跡』
鹿ノ谷山手町にいまも残る、炭鉱遺産とも言うべき往年の建物があります。
ここは、大正8年に作られ北炭の北海道支店に隣接し、石炭や坑内ガスを分析し、発熱量、成分、粒度、粘結度をはじめ、科学的調査を元に品質改善や販売促進をする研究施設として活躍しました。
木造の試験室もありましたが、今は残ってはいません。

当時の分析室の様子

現在は、お向かいの御宅の物置として使われているようで、幸運にもちょうど除雪中だったので中を見せていただきました。

内装はすべてなくなり、コンクリートが露出していました。
当時の面影はまったくわかりません。

この天井が、よく崩落しないで残っているものだと関心いたします。

滝ノ上や楓の発電所と同じ煉瓦造りで、大正時代の西洋風モダンな建築様式が一際目を引く、鹿ノ谷の往年の産業遺産でした。
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- 2012/02/18(土) 16:13:35|
- 鹿ノ谷
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さとさんの鋭い突っ込みが来ると思ってました。
さて、困りました。笑
わたしが鹿ノ谷にいた頃は、鹿鳴館は廃墟化しており、ほとんど記憶にありません。
また、分析室もただの廃屋としか思ってなかったです。
追い詰められたので、航空写真で分析してみました。
あの頃の夕張掲示板にわたしの見解の画像をアップしました。
北炭の鹿ノ谷事務所は写真の形状から、たぶん正解だと思います。
テニスコートらしき長方形が隣にあります。
鹿鳴館のすぐ近くです。
- 2012/02/20(月) 22:23:25 |
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- tomato #-
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ここは何度も見ましたが、木造の建物は同じ敷地にあったのでしょうか?
幼少のころ(S.20年代後半)父が勤めていた、地室は鹿の谷2丁目、にあったと記憶しています。仕事は同じように思います。
隣にテニスコートがあり、木造だったと思います。
鹿の谷小学校より、もっと鹿の谷クラブ(現鹿鳴館)に近かったような気がしています。
山手町というのも、なじみがなく高台と言っていました。
もう一度父の日記をよく読んで調べてみます。
分析の画像の出典はなにかしら。
- 2012/02/20(月) 20:04:10 |
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- さと #DficS.vs
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