
『同胞 はらから』 1975年11月1日公開 松竹
監督 山田洋次
脚本 山田洋次 朝間義隆
原作 山田洋次
キャスト
倍賞千恵子 寺尾聰 下絛アトム 市毛良枝 大滝秀治 渥美清
統一劇場 ※実在した「統一劇場」劇団員
岩手県岩手郡松尾村を舞台にした、農村部の青年たちと都会の青年劇団「統一劇場」との交流とふれあい、演劇の公演をめぐる人間模様を描いた、山田洋次監督の感動物語。
統一劇場とは当時実在した劇団で、実際に全国を回り公演活動を行っていました。
劇名は「ふるさと」といい、ここで歌われた歌は倍賞千恵子にて実際に発売された名曲「ふるさと」です。
学生運動が敗北した暗闇の中で、若者たち誰もが苦悩し未来を模索していた青春のひとコマを描いた傑作です。
物語が完結して統一劇場の倍賞が次なる公演場所を求めて訪れた場所として、夕張が一番最後に3分程度現れます。
これは、山田洋次監督の「次は夕張でやるぞ」というメッセージだったのではないでしょうか。
それは1977年の「幸福の黄色いハンカチ」に見事に引き継がれて実現していることと思いました。
ここでは、夕張の風景に係わる場面のみご紹介したいと思います。

この場面は、夕張駅から社光方向を見ていると思います。
ズリ山が見えますね。

上の場面をズームアップした場面です。
東山中学校に登る道を更に分岐して上に上がる道のようですが、そんな道は今は全くわからないです。

夕張の青年部の代表の人と倍賞が話し合いをして、帰路につく場面です。
ここがそのズリ山付近の謎の炭鉱住宅街です。

その細い道を下りて東山中学校の道に出た場面だと思います。
向こう側の福住や小松、高松にものすごい数の炭鉱住宅が見えますね。
いや、目頭が熱くなります。

その坂から見た夕張駅ですね。
蒸気機関車や駅のホームが見えます。
すばらしいと思います。

福住の住宅街です。
いや、すごいです。

社光の団地です。
最盛期を過ぎて15年が経過していたとはいえ、ものすごい数の住宅が当時の夕張の活気を教えてくれます。

東山中学校の道から社光の道に下りるところだと思います。
あの場所が、こんな状態だったのですね。

1981年の住宅地図で場面を照合してみました。
倍賞が歩いたルートは赤点を右から左だと思います。
わたしもぜひこのルートを歩いてみたいと思います。
みなさんもDVDを購入して、あの頃の夕張の映像をご覧いただきたいと思います。
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- 2012/02/14(火) 20:35:38|
- 夕張映画
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| コメント:2
東山中学校へは、本町からとても急な坂を登るルートか、社光のこのルートしかないので、汽車で夕張駅から歩いたとすれば社光のルートだったと思います。
でも、のぼり川さんが歩いたとしたら昭和30年代ですよね。
この頃よりまだ前の時代だったのがすごいです。
実際の映像では、家々の煙突から立ち上る煙が動きがあって、ああ夕張だな・・・と、ジーンと来てしまいます。
山田洋次監督の夕張に対する愛情のおかげで、このような映像が見れてありがたいです。
全編を通じては、全く夕張は出て来ないですが、映画として楽しめたと思っています。
- 2012/02/15(水) 10:02:44 |
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- tomato #-
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75年の夕張の人口は5万人と隆盛期の半分以下になり、将来の不安を感じながらも、まだ多くの人の息遣いが感じられる懐かしい風景が見えますね。
東山中学、市内9校の中学校生徒会の集まりがあり歩いた道かも、5年ほど前に夕張での山田洋次さんの講演で山と坂のある町は映像に立体感が出て良い絵が撮れることと、ご自分が山口の炭鉱町に住んで夕張にひと際の親近感を感じたことなども話されていました。昨日から寅さんのおばちゃんが亡くなったニュースで山田監督が何度も登場しており、改めて凄い方だと感じています。
「同胞」これも観てみたい映画です。
- 2012/02/15(水) 09:11:09 |
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- のぼり川 #-
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