ロケットマンさんから、あの頃の夕張画像第二弾を送っていただきました。
昭和50年頃の撮影だそうですが、もっと懐かしい画像に見えますね。

暑い夏の日に、たくさんの子供たちが屋外で元気に遊ぶ姿が、夕張斜陽とはいえ、往年の末広の活気を思い出させてくれます。
向こう正面に見えているのはお風呂屋さんでしょうか。
写真集のひとコマのようですね。

シホロカベツ川を渡った新夕張鉱のズリ山から撮影された末広の全景です。
鹿ノ谷方面から右に写真3枚続いています。
川岸こちら側に、以前ご紹介したコークス場跡が見えます。
鹿ノ谷の丘には夕張北高が。
こちらの方角の主な建物は、貯木場、新夕張保育園、夕張幼稚園、共同浴場がありますが、炭住が多すぎて探すことはできません。
貯木場は子供達の遊び場だったそうです。
「カミキリ虫が居ましたし貯木場はカクレンボに最適 木の山から山へ飛び移り忍者ごっこ 木工場へ忍び込んで鋸刃の折れたのを拾いビニ-ルテ-プでとめて十方手裏剣を作りました。コ-クス場の所でも小さな引き込みが分岐していまして貨車が2両位停まれ コンベアでガラガラと積み込んでいました。また機関車への給水施設が有った記憶が有ります。」・・・ロケットマンさん談

こちらの方角には、左から夕張北高、夕張税務署、夕張法務局、末広墓地がありますが、住宅が多すぎてわたしはほぼ見つけられません。

現在の夕張駅のある方向の昔です。
こちらには、新夕張神社があるはずなのですが・・・
手前のツインの橋は、奥側が鉄橋の線路で今も残っています。手前側は木造で人や車用ですが現在は有りません。夕鉄の線路の引込み線が、鹿ノ谷駅から分岐して木工場、貯木場の傍を通り橋を渡り新夕張鉱の選炭場まで行きました。 橋の手前には踏み切りが有り、門番?さんの待機所が有り遮断線を電動で上げ下げしていたそうです。
これらの撮影から35年あまりで急速に変わってしまった、往年の末広の町並みに圧倒されます。
昭和50年といえば、わたしが生活していた頃なのですが、夕張といえばとにかく住宅が密集していて町中子供だらけというイメージで、これらの風景がおとぎ話になってしまうとは夢にも思いませんでした。
ロケットマンさん、画像をお送りいただきありがとうございました。
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- 2012/01/18(水) 01:21:24|
- 末広
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| コメント:3
33054さま、はじめまして
画像と文章いかがでしょうか。
少し切なすぎたでしょうか。
わたしの中では、夕張に関しては常にこのような角度で捉えてしまうところがあり、自然と目頭が熱くなるときもあります。
時々でも見にいらしてください。
- 2012/01/19(木) 19:19:43 |
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- tomato #-
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始めて拝見させていただきました。
しばらく写真に見入り、文章を読みました。何とも言えない気持ちです。上手く表現できませんが、ひと言で言いますと「切ない」でしょうか。
何だかいろいろ考えさせられました。また覗かさせていただきます。
- 2012/01/19(木) 17:45:17 |
- URL |
- 33054 #4xBChlt2
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