こちらに時々コメントされている、夕張出身ロケットマンさんの学生時代の笑うに笑えない思い出です。
とても珍しい内容なので記事にさせていただきます。

今から45年ほど前、夕張北高の物理部に國枝先生という顧問の先生がいました。
この先生を慕って十数名の学生が部活動に参加していました。
時に、アメリカがアポロ計画で月面を目指すという時勢で、北高物理部でも一同大いに宇宙への夢を膨らませていたころでしたが、直接の動機は糸川博士のペンシルロケットでした。
その中でK.Y(イニシャル)の発案でロケット班が立ち上げられ、K.Y N.H Y.M(ダイヤルMさん)そして私K.S(ロケットマンさん)が参加いたしました。

注:アルバム編集委員のイタズラで「ガラクタクラブ」となっていますが、物理部です。
白衣右が國枝先生です。
全道の高校の研究発表の場で、夕張北高はどこよりも先駆けてロケットの打ち上げを成功させようということになりました。
顧問の國枝先生も大いに賛成し盛り上がりました。
間違いは、この実験中に起きました。

昭和40年7月、國枝先生以下、北高物理部のロケットマンさんダイヤルMさん他一同は、北高グランドでロケットの燃焼実験をすることになりました。
夏休みを利用して物理部恒例の有珠でのキャンプのときに、ロケットの発射実験をする前のテストでした。
固形燃料を手篭めしていましたが、危ないのでは・・・と言う事で水で湿らせて篭めて乾燥させて点火することにしました。
ところが・・・点火直後に大爆発、本町の谷間に大音響がこだましました
白煙が学校グランド半分くらいまで覆い、辺り一面が大きく真っ白になり、それはどこに居ても見えました。

注:発火直後の写真
怪我人や建物の被害はありませんでしたが、とんだ騒ぎになりました。
さて、なぜ爆発したのでしょう。
今にして思えば乾燥時にクラックが入ったのかも知れません。
それで異常燃焼で爆発です。
ちなみに後日、このグランドの爆発事件で警察から國枝先生に問い合わせがあったという噂がありましたが真偽のほどはわかりません。
このように、夏には燃焼実験をし、冬には西の山に向けて飛ばし、何度もテストが行われました。

あの頃のロケットマンさんの家の周辺。
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キャンプの日がきました。
有珠に向かうため、重いズックのテントを担いで鹿ノ谷駅からゾロゾロと蒸気機関車に乗り込み出発しました。
ロケット本体の金属製の筒と発火装置と固形燃料も持参しています。
これ、いまならテロリストでしょうか、多分捕まります。
注: 後日、国内でテロ事件が発生しましたが、爆薬の酸化剤に同じ物が使われていました。
また燃焼物については・・・それは秘密!。
この酸化剤が、わりと不安定で自然発火する事が有ると聞きました。良く事故が起きなかったものです。
三木薬局から数キロ単位で購入しましたが、三木さんでもこんな事知らなかったのでしょう。
キャンプ場に到着して、テントを張り一同海岸遊びで走り回っていたところ・・・
海岸の海に向かって右側に岬が有り その奥にウニが足の踏み場が無い程いっぱい有るのを見つけました。
地元の方に聞くと毒の有るウニとの事で、ビックリ危なかった・・・
(大人になって寿司屋で知りましたが、あれは馬糞ウニで美味しいんだと!)

早速ロケットを発射しようと準備にかかります。

点火!
ロケット花火の方が良く飛ぶ!と皮肉られたそうです。
國枝先生は、とても人気のある先生でした。
コンドー〇の話をよくしていて、男子が異常に盛り上がっていました。(女子生徒談)
今でも天国で國枝先生がボトル片手にそっくり返って大笑いしていそうです。
ヤッホ- 先生 御機嫌いかが!

注:教員集合写真
2列目右から7人目が国枝先生です。
もう、すべてが遠い昔の出来事になり、そんな真面目な学生だったロケットマンさんも還暦を過ぎたそうです。
おおらかなあの頃の夕張を感じさせる青春の思い出でした。
おわり
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- 2012/01/12(木) 17:33:52|
- 夕張人
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