
真谷地の線路跡と道路の交差していた分岐
往年の真谷地炭鉱中心部
事務所と詰め所、線路、竪坑、ポケットなど密集していた。
いまは山の林道のようにしか見えない光景が、かつて鉱業地帯だったと説明されても信じられない。
左の道を奥に上がって行くと、住宅が並んでいたのだ。
商店もあった。 小学校もあった。
たくさんの炭鉱マン家族の生活があった。

竪坑跡 この上に10階建てのビルのような高層建築物があった。

奥に入った真谷地2区の歩道。
どう見ても森の中。
こんなところにわざわざ歩道が必要なほど、往年の賑わいがあった。
人が歩いたのだ。

2区の行き止まりのゲート。
当事はゲートもなく、このあたりに商店があった。
道をこのまま進むと1区の住宅があった。
その上には、上の沢という集落も。
この道から降りて、右手の草むらに入って下っていくと小学校があった。

すべて、かつての住宅地そのものを写しているのだ。
もう、胸が痛くなる光景である。
3年前の真谷地

真谷地炭鉱事務所跡
この歴史的な産業遺産を取り壊されたとき、ショックで市役所に苦情を入れた。
内地からも見学者が耐えない芸術的価値があった。

真谷地炭鉱 作業員詰め所
竪坑の手前にあった。

小学校への道を下った。
小川が流れていた。
橋がかかっていた、通学路の橋げたが残っている。

その橋げたに沿って坂を上っていく。
まるであたりは雑草と林の森だ。
ここは、かつての小学生が登校した道なのだ。

笹薮の中に・・・コンクリートの塊が。

もう、涙で言葉がでなかった・・・

往年の真谷地小学校
スポンサーサイト
- 2011/08/31(水) 15:31:41|
- 真谷地
-
| トラックバック:0
-
| コメント:2
今度は奥の北隆炭鉱跡を探検して下さい。桜ヶ丘に渡った貴方なら可能でしょう。
- 2011/09/05(月) 22:12:41 |
- URL |
- mayachi5051 #HfMzn2gY
- [ 編集 ]