幽霊のお話しをもうひとつ。
大正9年に北海タイムスに報道され世間を震撼させた幽霊事件がありました。
本町の夕張小学校(旧登川尋常高等小学校、現夕張第一小学校 廃校)で発生したノックをする幽霊です。
戦前の北海タイムスは北海道新聞と並ぶ2大新聞でして、戦中の新聞一地域一誌の政策で2誌が統合されるまでその権威はありました。

夕張は以前は登川村という名前であり、登川校との見出しは夕張小学校のことであり、現在の登川とは違います。
この事件のせいか、学校名が夕張小学校と変わったのはこの後すぐでした。
新聞記事では、実在の校長先生や實相寺が出て来るなどかなり信憑性の高い記事です。
▲事件のあらまし
男の先生3人が校舎2階の宿直室に住み込みで寝泊りしていたとき、ある夜、階段をミシミシ登ってきて部屋のドアをノックする者がいます。
声を掛けても返事がなく、ドアを開けても誰もいませんでした。
このようなことが連日続き、さすがに職員の中で騒ぎになり松本校長に相談しました。
先生3人でそのノックをする者の正体を突き止めることになりました。
その夜も階段を登ってきてノックが鳴り、先生は質問をしました。
「おまえは獣か?亡霊か?亡霊なら5つドアを叩け」
5回ノックがされます。
このように先生の質問が繰り返され、それに幽霊がノックの回数で応答するという驚くべき問答が行われました。
その結果、幽霊は3人で、成仏を願っていて供養してほしいというものでした。
次の夜、今度は男の先生13人で待ち構えていましたが、幽霊は現れず、寝ていた先生が一人うわごとで「われら3人、明日の4時には成仏できるから今晩から出ない」とつぶやきました。
その日、松本校長が密かに實相寺の住職と相談し翌日の4時に供養を行うことを決めていたのは誰も知らないはずでした。
翌日、實相寺の住職と学校職員で供養を行い、その後幽霊は出なくなったそうです。

以下、新聞記事を掲載します。
記事は2日に渡って連載されたので、(上)(下)と続いています。
北海タイムス 大正9年3月17日
不可思議極まる
登川校幽霊問答
亡霊、宿直の教員を脅かす
科学の力では解けぬ謎
深夜訪ひ来る者は誰ぞ
(上)
夕張町登川尋常高等小学校宿直室に夜な夜な怨霊現れて現在自炊せる三名の教員を脅かせりとの噂は噂を孕みて、
◇ 全町に 喧傳するやうに到ったが、夢のやうな謎のやうな妄説なので迷信の徒の○語として一向に信を描かなかったが、余りに不思議なる事實を報告したものがあるので、記者は松本校長を訪問し其の事實の真相を確むるに及んで、物理化学の進歩した現代文明の世として理外の理なる亡霊問答の事實物語りを記者に紹介することを得たのである。
◇ 現在の 同校宿直室は校長室に隣接せる八畳の間で下宿○底の為に現在自炊を営みて宿直せるは柔道の師範で腕力の据はった桑島訓導と、内地で校長の経歴ある佐藤代用教員に中村准訓導の三教員である、然るに去月十八日の深夜一時頃、廊下に面せる戸を拳にて叩く音が聞こえたので何者か訪ね来たものと思って探索したが何等の
◇ 形跡を 認めなかったのである、然るに教員室の時計が○○を破って一時を告ぐる頃になると、三人の教員は水を浴びたやうに冷やっとして思はず懺悔した。其から戸を叩くこと五晩に及んだのである。然るに其の廊下は両端に硝子戸は閉鎖されて居りて狐狸の類の入るべき方法とてなきに○々不思議を○し此事を三名の
◇ 教員は 松本校長に逐一語ったのである。然るに松本校長も余りに馬鹿気た話なので真を措かなかったが、三教員の語る○○りに真面目なので一応尚三晩研究すべき行を命じたのである。三教員は○に於いて○を練り妖怪の正体を見現さんと○○いた。然るに夜は更て物凄くなると思はず
◇ 眠気を 催したかと思ふと力なげに戸を頻りに叩くものがある。○して三晩を経過したので、二十七日放課後教員一同の協議会を開き○に問答を開始した結果、誠に不可思議な理外の理なる事実を確めた。狐狸か妖怪か亡霊の暗示は文明の世にあるべからざる事實を語る乞ふ明日を待て!
北海タイムス 大正9年3月19日
不可思議極まる
登川校幽霊問答
亡霊、宿直の教員を脅かす
科学の力では解けぬ謎
深夜訪ひ来る者は誰ぞ
(下)
亡霊が夜な夜な現れて宿直教員の脅かされた夕張町登川尋常高等小学校では二月二十八日の教員会議を開いた結果、其夜三名の宿直
◇ 教員は 亡霊と問答を開始することとなった。夕張川の水は○々として更行く冬の夜の調子を取って、冷たい風は咽ぶが○き○して枯○の上をわたる真夜中となった頃、例の如く宿直室の戸を拳で以って叩くものがある。桑島訓導、佐藤代用教員、中村准訓導は胸を躍らせつつも息を凝して耳を○て○を据へて慈に問答に取掛かった。 「汝狐狸妖怪なるや、若し
◇ 亡霊な らば五ッ戸を叩つべし」と問へば「五ッ叩った」 然らば「女ならば六ッ打つべし、男なれば七ッ打つべし」と問へば、直に「七ッ」叩ったので、更に進んで「其人数だけを叩てよ」と問へば「三ッ」打つ。 怨みを呑むものかと問へば音なきに。 重ねて「無縁仏のための供養を欲するものならば五十叩くべし」と問へば、相違なく五十叩いたので流石の三教員も戦慄して心臓の鼓動が早鐘を鳴らすやう、呼吸は○す烈しく迫って来る。 ○くてはならじと、○を据へて最後の問として「必ず名僧を迎へて供養せしむべきに付き、今後現れざるに於ては百打つべし」と云へば一つだに誤らず一気呵成に百を打たので
◇ 流石に 三教員も詮すべなく其夜は満足に寝もやらずして、翌朝松本校長に前記問答の顛末を逐一報告したのである。 松本校長も之か判断に苦み夕張町三丁目實相寺住職柴田信龍師を訪問し三月一日午後四時を期し供養を頼む約束をして別れ之を秘密に附して、二月二十九日の夜は中村主席訓導を初めとして十三名の男教員は宿直室不寝番研究に着手した。 然るに其夜は戸を叩かなかったが夜色陰々と更けて一時頃
◇ 凄愴の 気は漂ふたと思ふと佐藤代用教員は背中に水を浴せられる様な気持ちがすると謂ふて、其許にウタタ寝をすると間もなく「我等三人も明日の四時には成仏が出来るから今晩からは出ない」と妄語を云ふたので、揺り起すと佐藤教員は冷汗をビッショリ掻いて何の夢も見なかったと語った。 明日の四時を期して柴田住職に供養を頼んだことは松本校長は誰にも秘密にして居たのに此奇異の現象を一同は目撃したのは全く理外の理たる不思議な事實であった。三月一日午後四時教員一同参列して柴田住職によりて供養は行はれたが夫より十有余日を経過した今日此幽霊は現れないが
◇ 歴史を 辿れば右学校敷地は往時炭鉱鉄道の敷設の当事殺伐の気漲って土工は三人惨殺されて死骸を捨てられた所であると古老の記憶に○気に存じて居るのみで、市街地続きで狐狸河○の現れぬ場所なので、今なお市街地の不思議話としてそれからそれへと喧伝されて的確な判断を下すものがない (以上は松本校長の談話と記者の調査せし真相である) (完)

本町3丁目に実在する實相寺

夕張第一小学校 歴代校長
8代校長の松本直一さんが大正8年から13年まで勤めており、この記事と一致しています。
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- 2011/11/20(日) 09:28:54|
- 夕張歴史
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