
下夕張森林鉄道跡 5号橋梁真下から
シューパロ湖は、昭和37年大夕張ダムの完成で出来た人造湖です。
それ以前には「桜ヶ岡」と呼ばれ、戦後農業地域として32戸の世帯が開拓を行っていました。
夕張市内で例えると久留来のような光景だったのではないでしょうか。
下夕張森林鉄道は、ダムが出来る前は橋は少なく下の地面を走っていました。
この時期、ダムの水量が少なくなり往年の光景がほぼわかるような景色になります。
小学校もありました。
以下、わたしが取材した当事ここで生活されていた方の町の証言です。
「夕張川をつり橋で渡り、真っ直ぐに行く道と、右に行く崖淵で人がやっと1人通れる細い道を3~5メートル行くと林のようなところがありました。そこを少し下がったところがわたしの家でした。
家のすぐ横に夕張川ではなく細い川が流れていました。その川を渡り登って行ったところに、桜ヶ岡小学校分教室でしょうか、有りました。小野寺先生は、20歳代で校長になったとの事で、他に例がないのでは無いでしょうか」
このお話しを元に、桜ヶ岡小学校を探しに湖を渡りました。

持ち運びに便利な組み立て式のフロートボートで対岸を目指し出発。
浅いところはオールでこいで、深いところで電動スクリューを作動させます。

対岸にくぼんだ場所を見つけて上陸しました。 向こうから見た景色と違い湖に結構な幅がありました。

上陸地点にいきなり、下を走っていた時代の旧森林鉄道のコンクリートの橋げたが現れました。
土ではなくコンクリートで、明らかに人口的な造形です。
こんなのが残っているなんて驚きました。

桜ヶ岡小学校は、このあたりでしょうか。
物証がなく、どうもはっきりしないです。

または、こちら側か。
対岸から見るより広大な土地です。

林の中に冷蔵庫? これは鹿島から流れて来たものでしょうか。

桜ヶ岡の林の中。 ジャングルのようです。

いつの時代の看板なのでしょう。

旧森林鉄道の橋げた跡と思われます。
木製の土台がむき出しで残っていました。
線路があったと思われる地面はコンクリートで固められていた跡が残っています。

線路が繋がっていたと思われる光景。 コンクリートが地面に道路状に残っています。

幅の広い川に突き当たりました。 時刻も夕方になり、引き返しましょうか。
6号橋梁です。

それにしても、この造形は・・・

桜ヶ岡から見た三弦橋と大夕張ダム
このツーショットは、ここからしか見れない光景です。

桜ヶ岡から見た、新国道。
ダムが拡張され、あの高さまで水が来るなら、ここは年中完全に水没地帯になるでしょう。
今年見ておかないと二度と見れなくなるかも知れません。

この棒状の金属が密集して落ちているところが何箇所かあります。
これは、当事のつり橋の金具かと思われます。

日が暮れて暗くなってきました。
さあ、帰路につきます。
さよなら桜ヶ岡。
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- 2011/08/28(日) 13:17:16|
- 桜ヶ岡・下夕張
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