
福住に残る、福住集会所。 福住最後の木造建築物だ。
ここ以外の当事の建物はすべてなくなってしまいました。
こちら側は、お風呂屋さんだったそうです。
裏側は半分だけ取り壊されたようですが、集会やそろばん塾などで使われていたそうです。

小さい車なら、はくせい博物館の建物から小道を上がって目の前まで入っていけます。
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冬の福住集会所。

大きな拡声器が残っている。
福住全盛期には、どんな放送がされたのだろうか。

昔から増改築されてきた歴史が伝わる。
まだまだしっかりしている。

雪がもたれ掛かっていても頑張っている。

電気メーターだ。
平成21年7月14日に交換されている。
まだまだ現役だということがわかる。
いや、そう思いたい。
集会で使用する申請をしたら貸してくれるだろうか。

3年前まで、この建物も残っていた。
集会所より100メートルくらい北側の、花とシネマのドリームランド入り口のあたりだ。
ここは商店が並んでいたので、そのうちの1軒が残っていた。
しかし、建物は豪雪に押しつぶされ、その後完全に撤去されてしまった。

映画 幸福の黄色いハンカチの場面に、一瞬だけここの景色が映る。
福住集会所の手前に、家政女学院がわかる。
いまの博物館のところに生協があった。
土手の下には福住プールがあるのがわかる。

もう少し丁未方向に進むと、道道に橋がかかっている。
福住橋という名前だが、完成は昭和63年10月31日と新しい。

人車跡。
福住橋の向かい側、いまでもはっきり跡が残っているのがわかる。
福住と富岡の境界を縦に走っていた人輸送専用のトロッコだった。
夕張は、山肌に住宅が頂上までびっしり建っていたので、人の往来をスムーズにするため、山頂とふもとを直線で結ぶケーブルカーだった。
1945年(昭和20年)から1974年(昭和49年)まで実在した。
福住は戦前から戦後に栄えた古い町で、往年の夕張を語る場合なくてはならない。
全道一の生徒数を誇った夕張第二小学校も福住である。
後日、この小学校にも触れたいと思います。
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- 2011/10/05(水) 19:31:07|
- 丁未・錦・富岡・福住・住初
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