明治23年、夕張炭山開基以来の人口推移を確認しておきます。
資料は夕張市役所ホームページに公表されているものです。


最盛期 昭和35年 11万7千人と、わたしは話をするようにしています。

■直近の夕張市人口

実は、毎月40人~50人づつ減少しており、何もしなければ年明けに1万人の大台を割るかも知れません。
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- 2012/06/06(水) 12:47:28|
- 夕張地理
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| コメント:5
数字から、当時の懐かしい風景が見えてくるところがすばらしいと思います。
子供が多すぎて、学校が二部授業だったり、校舎に入りきらなくて役所同士がもめたり、熱い時代だったと思います。
大和の風景も、きっとエネルギーに満ち溢れた熱いものだったのでしょう。
もう、あの頃に戻ることが出来ないなんて信じられないですね。
- 2012/06/08(金) 17:22:29 |
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- tomato #-
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兎追いし彼の山、小鮒???山女釣りし彼の川、
昭和三十五年と謂へば小生小学生で、大和の山を跳び廻つてゐました。
夕張が最盛期かどうかは全く考へる事もなく、無邪気に兎、イタチを追いかけ、山女、石斑魚、等々を釣り自然の恵みを受け野生児の如く飛び跳ねてゐた時代です。
今、考へると彼の秘境のやうな處で生活してゐたのが懐かしい。不便極まりない處でと思はれるかも知れないけれど、小生等には不便は全く感ずる事なく過ごしてゐました。夕張が最盛期に有り乍ら大和はアマゾンの秘境の如くでした。アハ・・・・・
- 2012/06/08(金) 08:51:43 |
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- 大和の秀 #n5HFqvAU
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現在の1万人の夕張というのは、明治30年代以来の水準ということになり、開発当初の時代に戻った人口ですね。
最盛期の人口密度が、どれだけすごかったのか、数字だけでは計り知れないものがありますね。
町別の人口も痛々しいものがあり、現実の厳しさを教えられます。
- 2012/06/06(水) 20:42:30 |
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- tomato #-
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ご苦労様です。そうですね、昭和35年117千人ということになりますが、他と違って炭鉱町では住民登録をしていない人が多かったらしく、実数はもっと多かったとも言われています。昭和35年は私は南高2年で、最も人口の多い隆盛期にいたことが判ります。
- 2012/06/06(水) 17:36:52 |
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- のぼり川 #-
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