花園公園にあったとされる3つ目の石碑。
手元の資料では、お寺に移設されたと書かれています。
そうすると、もうあそこしかないと思いました。

『登川砿慰霊碑』
殉職者 慰 霊 碑
北海道炭鉱汽船株式会社創立七十周年記念
登川炭鉱労働組合 昭和卅三年拾壱月拾八日 (昭和33年11月18日)
昭和六十二年十月九日 真谷地炭鉱閉山により二区公園より移設
昭和六十三年七月吉日
北炭開坑以来殉職者名簿 登川本坑-楓坑
北炭が創立70周年を記念して、各種行事を盛大に行ったが、その時に労働組合に交付された施設行事費の一部で、殉職した仲間の霊を慰める目的で花園公園内に建立されました。
その後、真谷地炭鉱の閉山にともなって、楓墓地の入り口に移転されました。
大正8年に北炭に統合されてからの全殉職者名が刻まれた貴重なものと言われているそうです。

約140名の名前がフルネームで刻まれた石版は永遠にこの土地の歴史を物語ってくれるのでしょう。
労働災害でこれだけの人命が失われる炭鉱のあり方は、近代化した日本では受け入れ難いものになっていたのかも知れません。
昨今の交通事故や自殺で多くの人の命が失われている報道なども、人生を無事に真っ当するということがいかに神業に近いことなのかと考えさせられます。
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- 2012/05/02(水) 19:56:16|
- 楓・登川
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楓の墓地の友子の墓を図面を見ながらいきましたが、かなり荒れていて、倒れたままだったり土台が崩れていたり、正直よくわからなかったというところです。
明治大正時代のお墓が多く、歴史の古い墓地なのですね。
「夕張の歴史と文化を学ぶ会」という会があるんですね。
- 2012/05/09(水) 09:05:03 |
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- tomato #-
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登川、楓地区には友子制度が最後まで残っていて結束力が強く物故者の記録が石碑として残り、貴重な記録にもなっているのだと思います。
6日の夕張出身者の後輩の法要で矢野牧夫さんにお会いしました。「夕張の歴史と文化を学ぶ会」の副代表をしていて、友子制度を調べるために楓の墓地に行く予定があると話されていました。
- 2012/05/09(水) 08:15:02 |
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- のぼり川 #-
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