登川二区の花園公園には、歴史を伝える石碑が3つあったと手元の資料には書かれています。
ひとつは『奥登川竪入り貫通碑』で、公園東側の高い位置にあります。
この碑はブログでご紹介しています。

ただし、もう二つの石碑が見つかりません。 (2週間前の画像)
資料には、ひとつは登川神社に行く副道に移設されたと書かれています。

公園跡は雪がすっかり溶けて雑草が倒れていて、見渡す限り何もありません。
さて、いよいよ困っていたところ、登川に残った最後の住人のひとりの古老の方がわたしに気が付いてくださりました。
登川小学校の記念碑事業でお世話になった方です。
花園公園の石碑の話をすると、いまもあるよ、案内してやるよ。と。
登川入り口から花園公園まで一緒に歩きながら、当時の町並みを教えてくれました。

しばらく公園の上の方の山を見つめていました。
「あ、あった」と、指をさされました。
この画像に石碑が写っているのですが、どこにあるかわかりますか?

少し近づいてみます。
わかりますか?

なんという場所にある石碑でしょうか。
公園西側のものすごい急な沢沿いの坂の高台で、とても近づくことは出来そうもありません。
どうしてこんな場所に石碑があるのでしょうか。

『災害防止優良旗獲得記念碑』
碑文 安全第一
昭和三年下季災害防止優良旗獲得記念
昭和四年六月
登川礦長 甲斐猛一 他従業員一同
由来は、碑文に書かれている通り、登川炭鉱の安全祈願という解釈をされています。
当初は、花園公園の中央に建立されていたそうですが、その後花園公園から登川神社まで山腹ぞいに行く道ができ、その時に現在地に移転されたものだそうです。
登川の人口が減り、その道は廃道化して、山の上に碑が残されたということでした。
この碑は、草木が生い茂ると全く見えなくなってしまい、今時期しか見ることが出来ないでしょう。
あとひとつは、どこにあるのでしょうか。
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- 2012/04/30(月) 22:41:33|
- 楓・登川
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清水沢小学校の下を通りかかりました。
ふと見ると、やけに荘厳な大きな家があります。

普通の家とは比べ物にならないくらいの大きさです。
もしやこれは・・・天使園がよぎりました。

わたしがウロウロしていると、ちょうど外にいたご近所にお住まいの方が教えてくれました。
発見しました。
旧清水沢カトリック教会です。
まだ建物が残っていたとは驚きました。
昭和24年11月20日に完成した建物でした。
手前が礼拝堂、奥が牧師さんのお宅だったそうです。

保育所『天使園』があったのは、この位置だそうです。

いまは個人の所有になっているそうです。
初代の立派な清水沢カトリック教会が残されている、歴史に隠れた夕張の名所でした。
保育所天使園に通われていた、往年の記憶と一致していますでしょうか?
天使園を求めて - 完結
- 2012/04/29(日) 19:42:59|
- 清水沢
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ニュースで見て、もしやと思い確認してきました。

鹿ノ谷1丁目ということでしたが、鹿ノ谷駅の構内です。
駅から200mほど本町寄り、夕鉄の車庫があった場所のすぐ隣の線路でした。
現場に入る道は係員が立っていて、通行止めで近づくことは出来ませんでした。

ここは、わたしの生活エリアだった場所で、友達の家に遊びに行ったことが何度もある場所でした。
家のすぐ横の坂の上をSLが走っていたのを見たことがあります。
ビデオ屋さんは、当時の同級生おもちゃ屋さんの今野商店だったところです。

夕張支線は北炭が明治25年に開業したもので、それ以来土台は改良されていなかったのでしょうか。
よく今まで壊れなかったものだと逆に関心いたします。

みなさんが通われ石炭列車が走った、往年の鉄路が宙吊りになっています。

鹿ノ谷駅に集結した工事車両。
急速に復旧が進められているように見えます。

誘導の係員や工事関係者で物々しい雰囲気に包まれた鹿ノ谷駅。

金曜日早朝の列車が通貨した直後だったそうで、大事故に至らなかったのは幸いだったと思います。
昨年は道道万字線が崩落して1年間通行止め、やっと復旧する頃でした。
本町には試練が続いて大変だとは思いますが、諦めないで共に進んでいきたいと思います。
- 2012/04/28(土) 15:09:26|
- 鹿ノ谷
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