あの頃の夕張を求めて

澄みきった空気、山並みに囲まれた豊かな自然の中で、炭鉱で開かれた先代の営みの上に、貧しくものびのびと成長した、そんなあの頃の夕張を探す画像ブログです。

登川プール

夕張市内に残った最後の屋外プールです。
現存しているものは、清水沢のゆうばり小学校の屋内プール(ビニール屋根)と、ここの2箇所だけです。
画像 070
登川小学校があったすぐ下、登下校の道沿いに往年の姿のまま残されています。
水を張れば今でもすぐに使用出来そうな立派なプールです。
画像 072
管理小屋がそのまま残されています。
画像 073
シャワー設備です。
雑草をどけたらすぐに使用できそうですね。
画像 075
注意書きの看板です。
どうもこの字体の様子から、かなりの年代物ではないかと推測されます。
画像 077
トイレが懐かしい・・・
画像 079
登川小学校の通学路です。
左手の土手の上に学校がありました。
画像 078
もったいないですね。
近隣に住宅があるので水道は止まっていないと思います。
掃除すれば、すぐにも使えそうな当時のままのプールです。
夏のお盆の時期に町内でプールイベントのような形で再活用できないでしょうかね。
帰省したお孫さんたちや、わたしのようなふるさとマニアも涙流しながら入りに来るでしょうね。

※昭和30年代の登川二区
7465985654154+1.jpg
ちょうど、登川中学校の裏側の山から撮影された画像です。(左下の建物が中学校)
青い線が現在の石勝線が作られている場所、緑の線が現在の国道274号線です。
町を分断するように作られた線路と国道は、町並みを別世界に変えてしまったようです。
当時のグランドやプールは、その下敷きとなり、現在あるものは小学校寄りに移されたものです。
74551564441564.jpg
昭和32、3年頃の往年の登川プールの画像です。
夕張市の中学生の大会が行われたときのものだそうです。
2枚とも、のぼり川さんから提供された貴重な画像でした。
当時の賑わいがすばらしい登川プールに熱いものが込み上げてきます。
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  1. 2012/05/30(水) 13:17:09|
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花園公園の石碑 2

花園公園にあったとされる3つ目の石碑。
手元の資料では、お寺に移設されたと書かれています。
そうすると、もうあそこしかないと思いました。
画像 079
『登川砿慰霊碑』

殉職者 慰 霊 碑

北海道炭鉱汽船株式会社創立七十周年記念
登川炭鉱労働組合 昭和卅三年拾壱月拾八日 (昭和33年11月18日)

昭和六十二年十月九日 真谷地炭鉱閉山により二区公園より移設
昭和六十三年七月吉日
北炭開坑以来殉職者名簿 登川本坑-楓坑

北炭が創立70周年を記念して、各種行事を盛大に行ったが、その時に労働組合に交付された施設行事費の一部で、殉職した仲間の霊を慰める目的で花園公園内に建立されました。
その後、真谷地炭鉱の閉山にともなって、楓墓地の入り口に移転されました。
大正8年に北炭に統合されてからの全殉職者名が刻まれた貴重なものと言われているそうです。

画像 080
約140名の名前がフルネームで刻まれた石版は永遠にこの土地の歴史を物語ってくれるのでしょう。
労働災害でこれだけの人命が失われる炭鉱のあり方は、近代化した日本では受け入れ難いものになっていたのかも知れません。
昨今の交通事故や自殺で多くの人の命が失われている報道なども、人生を無事に真っ当するということがいかに神業に近いことなのかと考えさせられます。
  1. 2012/05/02(水) 19:56:16|
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花園公園の石碑

登川二区の花園公園には、歴史を伝える石碑が3つあったと手元の資料には書かれています。
ひとつは『奥登川竪入り貫通碑』で、公園東側の高い位置にあります。
この碑はブログでご紹介しています。
画像 040
ただし、もう二つの石碑が見つかりません。 (2週間前の画像)
資料には、ひとつは登川神社に行く副道に移設されたと書かれています。
画像 080
公園跡は雪がすっかり溶けて雑草が倒れていて、見渡す限り何もありません。
さて、いよいよ困っていたところ、登川に残った最後の住人のひとりの古老の方がわたしに気が付いてくださりました。
登川小学校の記念碑事業でお世話になった方です。
花園公園の石碑の話をすると、いまもあるよ、案内してやるよ。と。
登川入り口から花園公園まで一緒に歩きながら、当時の町並みを教えてくれました。
画像 088
しばらく公園の上の方の山を見つめていました。
「あ、あった」と、指をさされました。
この画像に石碑が写っているのですが、どこにあるかわかりますか?
画像 092
少し近づいてみます。
わかりますか?
画像 090
なんという場所にある石碑でしょうか。
公園西側のものすごい急な沢沿いの坂の高台で、とても近づくことは出来そうもありません。
どうしてこんな場所に石碑があるのでしょうか。
画像 085
『災害防止優良旗獲得記念碑』

碑文  安全第一
昭和三年下季災害防止優良旗獲得記念
昭和四年六月
登川礦長 甲斐猛一 他従業員一同

由来は、碑文に書かれている通り、登川炭鉱の安全祈願という解釈をされています。
当初は、花園公園の中央に建立されていたそうですが、その後花園公園から登川神社まで山腹ぞいに行く道ができ、その時に現在地に移転されたものだそうです。
登川の人口が減り、その道は廃道化して、山の上に碑が残されたということでした。
この碑は、草木が生い茂ると全く見えなくなってしまい、今時期しか見ることが出来ないでしょう。

あとひとつは、どこにあるのでしょうか。
  1. 2012/04/30(月) 22:41:33|
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夕張は人生のふるさと。鹿ノ谷で過ごした楽しかったあの頃を決して忘れません。現在は札幌在住。
往年の夕張を追い求めています。
上の写真は探索専用パジェロミニ。
11092411CIMG1885.jpg
カメラ:Nikon COOLPIX P500

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