明治23年、夕張炭山開基以来の人口推移を確認しておきます。
資料は夕張市役所ホームページに公表されているものです。


最盛期 昭和35年 11万7千人と、わたしは話をするようにしています。

■直近の夕張市人口

実は、毎月40人~50人づつ減少しており、何もしなければ年明けに1万人の大台を割るかも知れません。
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- 2012/06/06(水) 12:47:28|
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現在の字名は昭和17年4月1日から実施されているものです。
夕張では、通称の土地の呼び名が70もあって非常に複雑であったものを、28に整理したものでした。
また、地番についても、開発の都度設定していたため点々としていて秩序がなく、日常の不便はもちろん行政運営にも支障をきたし、加えて都市計画にも影響するので、関係方面と慎重協議の結果、以下のように改正されたのでした。

※大正初期の本町4、5丁目
字名 由 来
丁未 部落の発生したのが丁未の年に当たりしによる
錦 部落の位置が小丘地帯にして紅葉の時の美しさを象徴してこの称あり
小松 往時、小松某会社員がこの地を馬糧地として開墾したのでかく名づけた
富岡 将来の繁栄を象徴したもの
福住 同 上
住初 往時、夕張炭鉱の開発に当たって初めて住宅を建てたことによりこの称あり
高松 高地に位置し付近山林に松樹多かりしによる
社光 往時、会社の斜坑があったので通称斜坑と呼称したが社光と改めたもの
本町 行政の中心であり、かつ市街地であるから丁目によって区画しかく名称したり
昭和 昭和通りの通称あるによる
旭町 往時、4区と称したが、かく改称したり
末広 新夕張坑の所在地にして将来の繁栄を象徴せんとしたもの
鹿ノ谷 往時、鹿の群集した地でアイヌ語は「ユツクルペシペ」といい、鹿の通る川沿いの道と訳す
常盤 常盤のごとく繁栄することを象徴せんとする
日吉 新 設
若菜 アイヌ語の「ワツカナムペツ」にして冷き川の流れ出る沢の意によりこの称生る
平和 平和炭鉱の所在地にして現在通称として平和と呼称されつつあり
千代田 通称千代田町と呼称されているため
富野 著名の蔬菜(野菜)栽培地帯なるを以てかく称す
清水沢 付近に清水の湧き出ずる沢ありたるためかく名付けた
南部 大夕張の南に位置するためかく名付けた
鹿島 地域内に鹿島沢と呼ぶところあり、開発の地なるを以てかく名付けた
沼ノ沢 往時、付近に沼あり、この称あり
真谷地 アイヌ語の「マヤツ」の転化にして、沼や島が2つある所の意なり
紅葉山 付近一帯楓樹多く紅葉の景勝地なりし為かく称せり
楓 付近一帯に楓多かりしを以てかく名付く
登川 原語「ヌプルベツ」の転化にして濁川と称す、往時夕張町を登川村と称す
滝ノ上 夕張川千鳥が滝の上部に部落が発生したによる

※大正初期の紅葉山
※参考資料 : 夕張市史
- 2012/04/02(月) 12:36:31|
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夕張南側の関連地図です。
滝ノ上方面には、炭鉱はなかったです。
真谷地の真北炭鉱と北隆炭鉱は危険すぎて探索は無理だと思いますが・・・
登川方面もいくつか炭鉱がありますね。
それぞれの歴史を調べてみたいと思います。
沼ノ沢界隈

真谷地界隈

登川界隈

- 2011/12/15(木) 17:47:40|
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