
錦沢遊園地 写真「大崎盛 写真集」より
春の訪れとともに見事な桜花が夕張を代表する名所であり憩いの場でした。
最盛期には、飛行塔、木馬16頭、豆電車、豆自動車、つり堀、ボート12槽、小動物園、桜約300本、四国新八十八ヶ所、錦沢教会三十三ヶ所、錦沢寺などがあり、夕張鉄道錦沢駅は一日当たり乗降客数6千人もあったほど盛況の地でした。
昭和8年5月に開園し、昭和45年に閉園しました。

大蛇の沢をせき止めて池が作られ、ボートを乗ることができました。
夕張鉄道の錦沢駅があり、経営も同社でした。

急勾配の路線をスイッチバック方式で2回折返して登るのが特徴でした。

現在の航空写真に当時の写真を重ねて地形を一致させてみますと、このようになります。

赤い線が夕張鉄道の路線で、今でもスイッチパック方式の形が遊歩道としてそのまま残っています。
新しく開通した道道3号線から遊園地跡に向かうには徒歩で30分程度でつきます。
グーグル地図で「錦沢公園」と表示されている位置は間違いです。

道道からの入り口には交通安全のお地蔵様があります。
旧道に建立されていたものが移設されたものです。
さあ、道路を向かい側に渡って錦沢に行ってみましょう。

こちらが入り口になります。
きれいに舗装されていて大丈夫そうですが。

少し進むと、道が怪しくなってきました。

サイクリングロードの看板です。
以前は、夕鉄の線路跡を富野から社光まで自転車専用道路として活用されていました。

いやこれは、笹薮が覆いかぶさり、道がわかりずらくなってきました。

あ、ここは最初の折り返し地点です。
当時の線路跡に忠実に舗装されているのが嬉しいですね。

折り返し地点から少しすると、何か見えてきました。
ついたのでしょうか。

到着しました。
奥に石碑が見えます。

錦沢遊園 昭和八年五月 金谷山人
このように刻まれています。
こんな山奥で歴史を語り続ける石碑を、未来の人たちは気がついてくれるでしょうか。

大看板が残っていました。

サイクリングロードの休憩場所跡として、現在も面影を残している錦沢遊園地でした。

まだ桜が咲いていました。
当時も同じ花を咲かせていたのでしょうか。

「次は、錦沢、錦沢です。」
切符から当時の声や賑わいが聞こえてきそうです。
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- 2012/05/21(月) 11:34:28|
- 富野
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札夕線とは、道道3号線札幌夕張線のことです。
札幌市中央区大通東7丁目から夕張市若菜までの42.5キロの道です。
平成19年に錦沢を通過する新道路に付け替えになりました。
二股のあのカーブがなくなってホッとしたのもつかの間、逆にあのカーブを走りたいです。
あれは夕張名物でしたね。

新道道の4つの橋にはそれぞれ名前が付いています。
夕張に縁のある4人の有名人の自筆の文字をプレートに起こしたものだそうです。

トンネルに近い橋から順番にご紹介します。
最初は『錦春橋』です。
ご存知、清水沢出身の双子のリリーズです。
なかなかしっかりした字を書きますね。

次の橋は『錦夏橋』です。
大黒摩季さんです。
夕張支援のコンサートに出演されたのでしょうか。

次は『錦秋橋』です。
ご存知、本町出身の大橋純子さんですね。
車が橋の欄干に激突していて、ちょうどプレートに当たって取れかかっています。
どんな運転をしたらこのカーブ内側の欄干に激突するのでしょうか。

最後の4番目は『錦冬橋』です。
あの吉永小百合さんの字で、夕張支援の行事ではお馴染みですね。
映画 北の零年では、厳寒の夕張ロケに挑みました。

4番目の橋は大蛇の沢川にかかる、一番長い橋です。

他の3つは無名の沢というプレートが掲げられています。
河川地図でも、名前のない小川は無名の沢と呼ぶらしいです。
あの難所がこのような嬉しい道路になりまして、行政もなかなか意気なことをしてくれます。
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VPS
- 2011/12/05(月) 12:07:37|
- 富野
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栗山から夕張に入る道道3号線(札夕線)。
昭和30年代までは実は、二股峠を越えるこの旧道が夕張と札幌を繋ぐ唯一の幹線道路でした。
昔の地図にはこの道路が表示されています。
ライダーハウス跡から左手に入っていきます。

このあたりの雰囲気は、わたしが小学生の頃に探検して通りぬけた35年前と変わっていないと思います。
当事も廃材置き場みたいな場所でした。
人はもっと住んでいたと思います。

このアパートの2階にも人が住んでいました。
車をいたずらして遊んでいたわたしたちに、ここの2階の窓が開いておじさんに「こらっ!!」と怒られて逃げましたから。

昔はもっと道幅が広くて、建物がもう少しきれいでした。
痛々しい風景になってしまいましたね。

20年前は、この道はスープラでも通り抜けできました。
しかしいま入ってみると、途中土砂崩れがあったのでしょうか、1メートルくらいの段差ができていて、その手前にブロックが置かれて通り抜けは不可能な状況になっていました。
雑草もひどくて、とても道があったとは思えないです。
しかし、林道ナビにはしっかり道が鹿ノ谷まで続いています。
いつか、あの頃のように昔の人たちと同じように、ここを通り抜けたいと思っています。
車載カメラの走行動画
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VPS
- 2011/10/23(日) 21:46:31|
- 富野
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