
夕張市若菜2-19に本社を構える夕鉄バス。
正式名称は、今でも夕張鉄道株式会社と言います。
誰もが知っている夕張鉄道を経営していた会社がここです。
社章はベンツのマークを2つ重ねたような形が印象的で、夕張のYと鉄道のTを組合わせて車輪を表し和協の精神を表現したものだそうです。 ※大正15年制定
夕張のバスの歴史は、夕鉄バスより早くに夕張バスという会社があり、後に夕鉄と統合しています。
市内における路線バスのはじまりから見ていきましょう。

昭和5年5月に、室蘭在住の徳中祐満が社長になり夕張乗合自動車株式会社が設立されました。
6月1日から中型バス2台で、本町栄橋 - 鹿ノ谷間を運行したのがはじまりでした。
12月には夕張駅まで路線が延長、その後まもなく若菜 - 沼ノ沢 - 真谷地と、拡張しました。
昭和9年、札幌在住の安井一夫が資金力で夕張乗合自動車㈱を支配し、夕張バス株式会社と改称しました。
この後、小樽バス株式会社に買収されて経営は続いていましたが、戦争が激しくなるにつれて、交通事業の統制もきびしくなり、昭和19年4月に休業廃止となりました。

戦後になり、市内の道路が目立ってよくなり、昭和23年頃より自動車が急激に増えてきました。
夕張在住の、前川宇之吉と横川惣太郎などによりバス運行が企画され、昭和25年3月30日に夕張乗合自動車株式会社が設立されました。 ※戦前の同名の会社とは成り立ちから関連性はないものと思われます。
昭和25年4月1日からバス3台で、夕張鉱業所前 - 若菜間の運行を開始。
その後、小松 - 丁未 - 清水沢 - 南部 - 真谷地 - 沼ノ沢 - 紅葉山 - 登川と路線を拡張していきました。

珍しい当時の夕張バスの路線切符

昭和27年8月1日に、夕張鉄道が夕張 - 栗山間をバス3台で運行を始めました。
その後、上江別 - 札幌大通り間も運行されます。
昭和38年10月、夕張鉄道はついに、夕張バス株式会社(夕張乗合自動車)を併合しました。
夕鉄バスは、路線バスのほか、観光貸切なども営業し、鉄道事業とともに夕張市民の足として定着しました。
しかし昭和49年4月1日、夕鉄は鉄道事業を北炭に譲渡しバス事業のみとなりました。
これらが、夕鉄バスが現在に至る経緯となります。

本社ターミナルからは、市内路線のほか札幌方面のバスが発着しています。

■登川から清陵町に向かう夕鉄バス

■夕張市内の路線図
この図面を元に全てのバス停を取材してありますので、後日ご紹介したいと思います。
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- 2012/03/08(木) 16:35:28|
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日吉のユーパロの湯の付近は、昔は北炭の大規模な化成工業所がありました。
夕鉄のΩ(オメガ)カーブが見えます。
写真向こう側は千代田の山肌でしょう。
明治35年に北炭が追分にコークス工場を設立し、続いてこちらにコークス工場を建設しました。
昭和9年に化成工業所としてリニューアルしましたが、戦時中は夕張製作所に譲渡しました。
昭和19年4月に再び接収し、石炭化学分野で本格的な幅広い生産活動をしました。
後期には、石炭液化の近代的工場もありました。
夕鉄の若菜駅から運搬用専用線も接続されていましたが、時代の移り変わりとともに昭和53年に閉鎖されました。
化成工業所の閉鎖後は、石炭技術研究所の石炭ガス化試験工場として使用されました。
幸福の黄色いハンカチで、クライマックスで高倉健が「北炭の工場の前を大きく左に曲がり、ずっと登り坂だ」と言った工場は、この化成工業所のことです。

ソルベー式コークス炉

コークスの窯出し

ベンゾール工場

石炭酸工場
~北炭70年史から
現在の化成工業所跡
大煙突の1本だけが残されていて、隆盛だった往年の姿を後世に伝えています。
昭和35年 建造
高さ63メートル、地面側直径5メートルという巨大煙突です。
ネットの一部では高さ30メートルという説がありますが、完全に間違いだと思います。

◎追記
2009年11月11日
埼玉県戸田市に本拠を置く脱臭装置製造「北炭化成工業」は、11月6日付で埼玉地方裁判所へ破産申請を行い倒産したことが明らかになりました。
1963年に「北海道炭礦汽船」の石炭化学研究所における、脱臭剤・脱臭装置の開発を前身として、1965年に設立。
活性炭吸着装置など「炭」を触媒にした脱臭装置に強みを持つほか、生物脱臭装置、薬液洗浄塔、触媒燃焼脱臭装置、回転蓄熱式燃焼脱臭装置等も製造し、2000年に起きた三宅島噴火の復興活動に同社製品が使用されるなどして、知名度を上げていました。
しかし、景気悪化により売上が減少したことに加えて、取引先の倒産により不良債権を抱え込んだことで資金繰りが逼迫し、今回の措置になった模様。2009年6月末時点での従業員数は56名。
東京経済ニュースによると、負債総額は約22億円。
- 2012/01/07(土) 03:10:56|
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黄色いハンカチ広場の手前の床屋さん。
映画の舞台になった観光化された長屋よりも、こちらの建物のたたずまいに往年の賑わいを感じる。
玄関横のポストがすばらしい。
付近に家はないが、まだ営業しているのだろうか。

日吉神社。
この周辺にだけ住居が集まっている。
炭鉱の中心部の町並みだったのだろうか。

あたりは暗くなってきた。

このあたりは状宅密集地だった。
床屋さんだけが、あの頃の夕張を物語っているようだ。

こんな山の道にも街灯が。
暖かい。

これもまた、あの頃の夕張なのだ。
- 2011/09/27(火) 12:01:58|
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