今年初めて鹿ノ谷小学校に帰ってみました。

あれ・・・

子供たちが登校しています!

あれ、校舎が直っています!
早くしないと遅刻するよ!

子供たちがたくさん遊んでいます。
すばらしい!

グランドに飛び出せ!
あ、タイヤが残っているぞ!
おれも入れてくれ!

運動会の練習をしていました。
今年は子供が多いですね。
みんながんばれ!

すべり台が残っていました!
みんなよかったですね・・・

・・・・・
すべてが遠い昔の出来事になり、みんななくなりました。
こんなことをしているわたしは危ないでしょうか。
逆に寂しい気持ちになってしまいました。
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- 2012/05/14(月) 11:09:53|
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ニュースで見て、もしやと思い確認してきました。

鹿ノ谷1丁目ということでしたが、鹿ノ谷駅の構内です。
駅から200mほど本町寄り、夕鉄の車庫があった場所のすぐ隣の線路でした。
現場に入る道は係員が立っていて、通行止めで近づくことは出来ませんでした。

ここは、わたしの生活エリアだった場所で、友達の家に遊びに行ったことが何度もある場所でした。
家のすぐ横の坂の上をSLが走っていたのを見たことがあります。
ビデオ屋さんは、当時の同級生おもちゃ屋さんの今野商店だったところです。

夕張支線は北炭が明治25年に開業したもので、それ以来土台は改良されていなかったのでしょうか。
よく今まで壊れなかったものだと逆に関心いたします。

みなさんが通われ石炭列車が走った、往年の鉄路が宙吊りになっています。

鹿ノ谷駅に集結した工事車両。
急速に復旧が進められているように見えます。

誘導の係員や工事関係者で物々しい雰囲気に包まれた鹿ノ谷駅。

金曜日早朝の列車が通貨した直後だったそうで、大事故に至らなかったのは幸いだったと思います。
昨年は道道万字線が崩落して1年間通行止め、やっと復旧する頃でした。
本町には試練が続いて大変だとは思いますが、諦めないで共に進んでいきたいと思います。
- 2012/04/28(土) 15:09:26|
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ここは、ご存知の方は多いと思います。
市内の小学校の教本表紙にも描かれていたりした、有名な建物です。

『北炭北海道支店石炭分析所(室) 試料調整室跡』
鹿ノ谷山手町にいまも残る、炭鉱遺産とも言うべき往年の建物があります。
ここは、大正8年に作られ北炭の北海道支店に隣接し、石炭や坑内ガスを分析し、発熱量、成分、粒度、粘結度をはじめ、科学的調査を元に品質改善や販売促進をする研究施設として活躍しました。
木造の試験室もありましたが、今は残ってはいません。

当時の分析室の様子

現在は、お向かいの御宅の物置として使われているようで、幸運にもちょうど除雪中だったので中を見せていただきました。

内装はすべてなくなり、コンクリートが露出していました。
当時の面影はまったくわかりません。

この天井が、よく崩落しないで残っているものだと関心いたします。

滝ノ上や楓の発電所と同じ煉瓦造りで、大正時代の西洋風モダンな建築様式が一際目を引く、鹿ノ谷の往年の産業遺産でした。
- 2012/02/18(土) 16:13:35|
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