学舎の風景からいらしたナルセさまから画像を投稿していただきました。
約10年ほど前の夕張の画像の数々だそうです。
一部ご紹介したいと思います。

ご本人さまが撮影場所不明とお話しされていた炭住の場所が判明しました。
福住2区の炭住です。道道沿いのU字カーブの道の入り口付近にありまた。
屋根の軒下のプレートを拡大すると『福住棟 第9』と書かれているように見えます。

住宅地図


大夕張に最後まで残った『高橋電気店』です。
つい10年前まで、あそこに建物が残っていたのですね。

昨年まで残っていた清水沢清栄町の炭住です。

ここも清栄町です。
今でも一部残っていますが、このように夕張では往年の住宅が次々となくなってしまい、あの頃の町の痕跡を探すことがとても困難になってきています。
ナルセさま、貴重なお写真のご提供ありがとうございます。
他にも画像がありますので後日随時ご紹介させていただきたいと思います。
ナルセさまのホームページをリンクいたしましたので、ご覧になっていただければ幸いです。
北海道全域で往年の町の痕跡を求めて活動されている方です。
- 2011/12/26(月) 11:30:35|
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夕張神社の項目で触れた『軽巡洋艦 夕張』を調べてみました。

1923年(大正12)7月に佐世保にて完成。
3000トン級の小型でありながら装備は5000トン級のを整えた当時は画期的な軽巡洋艦でした。
水雷戦隊の旗艦として活躍したそうです。
『夕張』の戦歴で特筆するものは、太平洋戦争渦中の1942年8月 第一次ソロモン海戦です。
連合軍の南方反攻を阻止するべく、ラバウルから迎撃に出動する重巡洋艦 鳥海、青葉、衣笠、加古、古鷹に加え、自ら同行を申し出た軽巡洋艦天竜、夕張、駆逐艦夕凪の3隻で戦いました。
このとき夕張は竣工から約20年が経過しており速度も遅く、老艦として最後尾に付けられました。
連合軍は日本軍を上回る戦力でしたが、夜戦で日本軍が大勝利し、あまり当てにされていなかった志願の夕張と天竜も1844発を発射して約200発を命中させる大活躍でした。
連合軍は重巡洋艦4隻と駆逐艦1隻が撃沈、日本軍は帰路で重巡洋艦加古が潜水艦の攻撃で撃沈した以外ほとんど無傷でした。
その後夕張は、連合軍が優勢に侵攻してくる中で1944年まで奮闘し、4月27日パラオ諸島南西で米潜水艦ブルーギルの雷撃により沈没しました。
『夕張』と道具を買ってきました。笑

プラモデルを作るのは30年ぶりくらいです。

できました。

茶の間に飾っておきたいと思います。
- 2011/12/09(金) 23:32:57|
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知人から借りた昔の夕張の絵葉書をご紹介します。

錦沢遊園です。
夕鉄で富野と平和の中間の山の中にあった、昔のテーマパークです。
見事な色彩ですが、これは白黒写真に人工着色した写真だそうです。

夕張駅と福住を望む夜景です。
山頂まで灯りがビッシリの迫ってくるような夜景がすばらしいですね。
この夜景に魅せられた人は多かったことでしょう。

高松の石炭露頭のところの模擬坑です。
昭和天皇夕張ご訪問のときは、こちらの坑口をご見学されました。

夕張岳です。
いや、すばらしいですね。

滝ノ上の千鳥が滝でしょうか。

大夕張ダムでしょうか。
ちょっと違うような気もしますが、まだ工事中でしょうか。
夕張岳が見えますので、清水沢ダムではないですね。

これはどこでしょう?
大夕張のような気がしますが。

夕張本町商店街。
そういえば、このような街並みでしたね。
とても懐かしい絵葉書でした。
- 2011/11/24(木) 17:35:15|
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